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細川たかしはここにいたい(姉のはなむけ日記/第13話)

弟の、グループホームでの体験宿泊がはじまった。月曜日から、二泊三日。

部屋に貼ってあるカレンダーには「グループホーム」と書かれていた。実際には「クルーポヘーム」だったけど。

通ってる福祉作業所でも

「あさってからぼく、グループホームです」

「ぼく、いくからね。グループホーム」

と、スタッフさんやお仲間に伝えていたそうだ。


出発の前夜。

水色のボストンバッグに、弟が荷物を詰めた。わたしは服など両手でねり飴を練るようにグルグルっとやって秒でカバンに突っ込むだけだが、弟は一枚一枚、正座して、きっちりたたむので時間がかかる。一枚ごとに立ち上がって、歌いながら、部屋を一周まわる。

ひげそりは、持っていくために新しいのを買った。電動の、ちょっといいやつ。

「これ使い方わかる?」

母がたずねると、弟は試しに使ってみた。夜なのでうっすらとしか生えてないが、うまいこと剃れている。手よりアゴの方を動かすので、常時しゃくれているものの、なんとかなってる。

「ええやん、ええやん」

褒めたはいいが、弟の手は止まらない。弟らしく、念入りに剃っている。あまりに時間がかかるので、母はお茶をいれにいった。

「……やりすぎちゃう?」

弟のもみあげは、剃られて消失した。

「あんたッ……それ……!」

お茶を持って帰ってきた母が、目を見開いて固まった。

「細川たかしやん」


旅立ちの夜、弟は細川たかしになった。浪花節だよ人生は。



そして よが あけた……。

朝、ボストンバッグを肩にかけ、ちょっと左に傾きながら出ていく弟を、犬の梅吉が走って追いかけた。梅吉は弟<母<わたしの順でコバンザメのごとく寄り添うので、母とわたしを置いて、弟を追うのはめずらしい。

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「大丈夫やで、梅。いっしょにおるからね、バッチリ」

弟は、梅吉の頭をヌロヌロとなでた。

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「ほなね」

全然、いっしょにおらんやんけ。梅吉が無表情で見つめる。いっしょにおらんやんけ。話が違うやんけ。

でも、弟にとっては、これはこういう話なのである。

あっさり出かけていくので、案外悲しくなかった。楽しみにして、行ってくれたことに安心した。

「あんたを初めて幼稚園に送り出したときも、こんな感じやったなあ……」

母が遠い目をして言った。つまり幼きわたしは、涙ぐんで手を振る母を見向きもせず、ウッキウキで幼稚園に出かけたということだ。もう25年以上前の光景がオーバーラップする。

旅立ちは、すこし薄情なぐらいが、ちょうどいいね。


弟は福祉作業所でいつものように仕事をして、夕方、グループホームから中谷のとっつぁんが迎えにきてくれるという段取りだった。

送迎車は納車がまだなので、レンタカーを一ヶ月借りてもらうことにした。レンタル料で8万円。高いんだか、安いんだか、わからん。これもマガジン購読料からお支払いさせてもらいまして。

福祉作業所のスタッフさんから、母に連絡があった。

「ご機嫌で車に乗って出発されましたよ」

そして二十分後、中谷のとっつぁんからも。

「楽しそうに過ごされています。いまはリビングで、スタッフと一緒にお茶を飲まれてます」

お元気そうでなにより。知らず知らずでわたしたちも身構えていたのか、連絡をもらって、ホッと緊張がとけた。わたしも母とお茶を飲むことにした。

夜に弟へ電話すると

「からあげ」

と報告された。夕飯はからあげだったらしい。弟の好物だ。初日は弟しか宿泊していないから、弟にあわせて作ってくれたんだろうか。偶然だとしたら、弟は相当、もっている。



二日目の朝。

弟は起きているだろうかと心配したが、無事に朝ごはんを食べて、福祉作業所へ車で出発したらしい。ずっと実家にいた弟が、離れたところで生活を送っているのが、ちょっと不思議な気持ちになる。

普段はべつに弟が起きててもそんなに嬉しくはないが、姿は見えないが起きてるというのがわかるだけで嬉しい。

わたしは実家から京都の自宅へ戻っていた。

この日はちょっとした仕掛けをしておいた。段ボールに、弟が好きなドラゴンボールのぬりえ、大きなフィギュア、ポスターなんかを買って集めて、ギュウギュウに詰め、グループホームに送ったのだ。弟が帰ってきたら、受け取れるように。

緊張してるだろうから、姉の仕送りを部屋に飾って、楽しんでほしい。もし、帰りたいとゴネだしたら「荷物届いてるで!」と奮い立たせる口実にしたろかとたくらんでいたが、そんな必要はなかったみたいだ。

「ドラゴンボール、とどいた!バッチリ」

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弟からはずんだ声で電話があった。

この日から、他の入居希望者も、体験宿泊にやってくるらしい。ドラゴンボールの話ができたらいいな。

しかしわたしは忘れていた。弟の「バッチリ」は、かなり適当であることを。あっさり置いていかれた梅吉の無表情が浮かぶ。



三日目。

この日はグループホームに泊まらず、福祉作業所が終わったら、家へ帰ってくる。

週末まで実家ですごし、また来週から、体験宿泊だ。二泊三日が三泊四日に、少しずつ日数が増えていって、来月には本入居となる。

ピンポーン。

実家のインターフォンが鳴った。帰ってきた弟だった。たぶん。なぜたぶんかと言うと、インターフォンのカメラ映像が、バカでかい茶色のなにかで埋まっていたからだ。ダンボーが襲撃してきたかと思った。

弟は、わたしが送った仕送りの段ボールを、そのまま抱えて帰ってきたのだ。中にはフィギュアや、使いかけのぬりえが詰まってる。

「これ置いてきたらよかったのに!来週もあるんやから」

わたしはびっくりしたが、弟はすました顔でそれを持って、廊下をポテポテと歩いていった。

もみあげは依然、細川たかしをキープしていた。


中谷のとっつぁんが言うには

「わたしもそうお伝えしたんですが、持って帰る!って何度もおっしゃってまして……」

それほどまでに気に入ってくれたんだろうか。母とわたしは、中谷のとっつぁんにお礼を言った。グループホームはとことん平和だったそうだ。また来週、よろしくお願いします。


二日間は自宅から福祉作業所に通い、土日の休みも弟は実家で過ごした。あんなにいろいろ怪文が書き込まれていた弟のカレンダーが、来週以降は真っ白だ。

土曜の夕方はイオンモール神戸北へ行き、丸亀製麺でとろ玉うどんと天ぷらを食べ、イチゴを買って帰った。岸田家の贅沢コースだ。無意識に弟へのねぎらいと、明日からの出発の激励を込めていた。

帰り道、母がボルボを運転する。いつもなら弟は5分と絶たず後部座席で寝落ちするのだが、ギンギンに起きていた。

沈黙。

母もわたしも、言わなければいけないことはわかっている。しかし、怖い。言わなければ、確かめずに済む。

「良太、明後日からもグループホーム、がんばってね」

母が口火を切った。弟は、細川たかしヘアをぽりぽりとかいて

「グループホームは、もう、行きません」


と言った。

わたしも母も息を飲んだ。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。