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わたしったら文章が上手くて、ほんとによかった(どすこいしんどみ日記)

「文章を書くのが苦手なんですが、練習して上手くなった方がいいですか?」

よく聞かれるので、そのたびに答える。

わっかんねえ。


いや、実際にはなんか、もうちょっとモゴモゴと当たり障りないこと言う。練習できるなら、した方がいいんじゃない。使うところいっぱいあるし。仕事でも役立つしさ。モゴモゴ。

でも、結局は。

わっかんねえ。


知らねえ。


上手い文章って、なんだろうね。

数行読んだだけで、直感的に「この文章、うんメェェェ〜!?!?」って、丘の上で咽び鳴くヒツジみたいになることは、ある。どうでもいいけど、気になって調べたら、メェーって鳴くのはヤギだった。ヒツジはバァーって鳴いてた。豆知識。

試しに検索してみたら、上手い文章◯ヶ条なる情報が出てきた。

「一文にはひとつの意味しか書かない」「結論から簡潔に述べる」とあり、ヤギだとかヒツジだとか思いついたことをグダグダ垂れ流すのは論外だった。

自分が、文章を書くのが苦手だとは思わないけど、上手いとも思えない。

文章の上手さは、おそらく、相対的である。
上には、上が!いる!果てしなく!

向田邦子さんの文章を読むたびに、選びとる題材、心に深く根を差す余白、味のある人物の描き方に、一匹のヤギとなる。

マネしようたって、たぶん、頭っから違う。あらゆる辞書の外側にある、こんな表現、どうやっても思いつかない。

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わたしの背にギッチリギチギチに差し込まれた本たちを読むたびに。本当に。こんな文章、書けるようになりてえなあ、と思う。ちょうど一昨日も永井みみさんの「ミシンと金魚」ビビった。

なんで……あんな風景を……現代人が書ける……?

エッセイ界で言えば、清少納言先輩が、1000年前からいらっしゃいます。

ほんで、わたしの青春時代には、ケータイ小説が売れに売れたのです。


「愛せよ。人生において美しいのはそれのみである」

という文章が刺さる人もいれば

「ぁたしゎ、キミのコト……マヂで好きだょっ」

という文章が刺さる人もいるわけで。

文章の向こう側には、読み手がいる。読み手を引き込む文章が上手いとなりゃ、それはもう、人の数だけあるんじゃなかろうかと。知らんけど。


会社で広報に任命されたとき、なにからやったらいいかまるでチンプンだったので、カンプンなりにとりあえず、PR会社が主催している無料の文章セミナーへ行ってみた。

セミナーは30人ほどの参加者を迎えて、ハキハキと、淡々と進んだ。

PR会社は契約先を探すための撒き餌としてやってるセミナーだから、誰でも何回でも運営できるように、最初からマニュアルがあったんだろう。

ただ、最後、参加者からなにも質問があがらないのを見かねた先生が、いきなり喋りはじめた。

打って変わって、あまりにも暗いトーンだった。マニュアルがないとアンタ、そんな感じなのかい。

「文章を仕事にするのは、しんどいですよ」


そりゃどうして。

「だって、みんな書けますもん。文章なんて」

先生は、ははっと、ひきつったように笑う。

「みんなができることは、みんなも上達しやすい。怪物級の天才とかじゃない限り、もう、ブランディングとか、コミュニケーション能力とか、そういう勝負になるんで。しんどいですよ。わたしは病みます」

極端すぎんか。

「そのくせ、書けて当たり前とか言われるし。やってらんない。とかね、言っちゃって……じゃあ、はい、じゃあ質問がある人はいますか?」

できるわけないだろ。


会場は一気にお通夜ムードとなった。最後の最後、広報になったわたしにとっては最初の最初に、なにを見舞いしてくれるんだ。

一輪車に乗って粘土をこねながら象が乗ってもつぶれない茶碗を七秒につき一個作るような珍職を手につければ、そんなしんどさからも、無縁でいられるだろうか。

文章は上手であった方が素晴らしいのかという問いへの答えが、もうずっと、よくわからん。


2021年12月。
わたしは、文章がどうとか、それどころではなかった。

メンタルが終わった。

認知症のはじまったばあちゃんを主役に、岸田家という舞台では毎日、狂った悲劇が上映されていた。

福祉の手続きとか、病院の検査とか、やらないといけないことはわかっていた。光が見えている限り、絶望ではない。

でも、毎日毎日イラッとつまずく“小石”級の嫌なことを、自分でろ過できる余裕がなく、汚水をデロデロと放出していた。

具体的には、わたしが所属する事務所(株式会社コルク)の社員さんたちと、仕事の相談や連絡をするチャットに、デロデロと書いていた。

「今日、ばあちゃんからこんなことを言われた、しんどいです」「やっと見学に行けた施設が、ものすんごいイヤなところでした」

愚痴である。病んだ愚痴なのである。
相談ではない。だって、わたしは、次になにをしたらいいかわかっている。

こんなん、一方的に送られても、しんどいだろうな……。

病んでる人の話を聞き続けるというのは、特殊な訓練が必要なのだと、カウンセラーの資格を持っている母からずっと前に教えられていた。解決策のない愚痴は、丸裸で耳を傾けてくれる善人を、じわじわと病みんちゅの滝壺まで引きずり込むぞ。

わたしはそれを、大切な編集者や、マネジャーに、している。あかん。

理性ではわかっていても、感情ではタイピングを止められない。ちょっとした仕事の報告をするたびに、その3倍量ぐらいの余談を追記してしまう。


そのチャットの中に、編集者の佐渡島庸平さんがいる。

どこかでブレーキをかけねばと思い続けて、ようやく、聞くことができた。

「すみません。こんな愚痴ばっかり読んでいたら、しんどくなりますよね。わかってるんですけど、自分じゃ止められなくて」

今読むと、これすらも、ネチョォッとした押しつけがましい書き方な気がしていた。どうかしている。

既読がついた。

さて、どうなるか。

「えっ、愚痴だったの?」


ずっこけそうになった。しばらく会ってないが、あの、ガチのマジでキョトンとした三歳児よりも三歳児な中年男性の顔を思い出す。

愚痴だよ!


「岸田さんは文章が上手いから、読んでておもしろかったよ」

「おもしろい!?」

文章が上手いと、愚痴が愚痴じゃないってのは、関係があるのかい。

「なにが起こって、どんな捉え方をして、どんな感情になって、なにを悩んでるか、悩んでないかが、よく伝わるから。そういうのは愚痴じゃない」

「愚痴じゃないなら、なんですか」

「なんだろう。岸田さんをよく知るための材料?」

材料?って言われても。


思い出した。

一年前、運転免許の試験に落ちに落ちて絶望し、つらつらと己の不甲斐なさを嘆いていたら、佐渡島さんは

「おっ!話が進んでるね!」


と言ってきた。確かに、人生を物語に例えるならば、喜劇であれ、悲劇であれ、一応は話が進んでいるのだ。失恋しても、金を失っても。ページをめくれ。物語を止めるな。生きろ。

そういう高度な励ましかと思いきや、彼にそんな高度な意図はまったくなかった。言ったことも忘れていた。

そういう、人だった。

「文章が下手だと、書きたいことがちゃんと書けてないから、読み手が本意を察してあげないといけないんだよ。書かれてないことを察するのってカロリー使うし、読み間違えたら余計に病ませちゃうから、かなりしんどい。そういう文章を愚痴とか、呪いっていうんだと思う」

「ああ……」

「岸田さんの文章は、上手だから。楽になるなら、どんどん書きなよ」


その言葉に、わたしは、どれだけ報われただろうか。

どうせ佐渡島さんはもう忘れているので、わたしの都合の良いようにだいぶ解釈した上で、ここに書いておく。



16年前の、夏。

父が心筋梗塞になり、緊急手術を受けた。

強い麻酔と人工心肺装置につながれ、いつ心臓が止まってもおかしくないという状況で、父は眠り続けた。

毎日、毎日、病院の集中治療室のベンチに座って、お腹が減ったら自販機のコーンスープを飲んで、父が目覚めるのを待った。

夕方。

先生の説明を受けてくると病院へ戻った母が、なかなか家に帰らなかった。外はだんだんと暗くなり、弟も寝て、リビングで一人ぼっちのわたしは、心細くてたまらなかった。目を閉じると、倒れる直前、父にケンカのつもりで吐いたひどい言葉がよみがえる。その時の父の顔は思い出せない。思い出そうとすると、胃のコーンスープが逆流しそうになる。

友だちには言いたくなかった。気まずそう顔を見たくなかった。

電気もつけず、パソコンを開いた。

父に「お前の友達はこの箱の向こうの中に、なんぼでもおる」と言われて、買ってもらったパソコンだ。

2ちゃんねる(匿名掲示板)を開いた。

「父の意識が戻らない。誰でもいいから話を聞いてほしい」

はじめて、スレッドを立てた。

わたしは、>>1になった。

いつも、笑い話や怖い話をまとめたブログしか読んでいなかったので、タイトルの付け方とか、[sage]というタグを入れるとか、マナーがなにもわかってないので、最初は辛辣な返信ばかりつく。半年ROMれ。

けど、ぽつ、ぽつ、と。


「>>1 乙。なんもできんが、ゆっくりしてけ」

「俺の母も>>1の父ちゃんと同じ病気。いきなりでつらいよな」

「( ゜Д゜)⊃旦 < 茶飲め」

「中学生でねらーwwww  >>1の父ちゃんガンガレ」

「寝れなかったら目閉じてるだけでも体力戻るってよ」


返信がもらえた。

みんながみんな優しいわけじゃないし、父を救う方法を教えてくれたわけじゃない。でも、いまなにが起きて、なにが悲しくて、なにが不安なのか。胃液の代わりに逆流する思いを、起承転結もばらばらに書いている間は、時間を忘れられた。

顔は見えない。名前も知らない。本当かどうかわからない。
それくらいの距離感が、無責任な優しさが、ちょうどよかった。

スレッドの返信が500を越えたころ、いつの間にか、母が帰ってきた。

「見て!こんなにたくさんの人が、頑張れって言うてくれたんやで」

画面を見せると、母は笑って「ありがたいなあ」とだけ、言った。あとから聞いたら、匿名掲示板とかいう恐ろしい場所に娘が片足を突っ込んでいたので、反応に困ったそうだ。

インターネットから受け取った、薄暗くて無責任な優しさの価値は、インターネットにいた人にしか、たぶん伝わらない。

2ちゃんねるに書き込んだわたしの文章は、下手だった。

どんな不思議な力が働いて、下手な文章は優しさに届いたのか?



わたしは、きっと、いつもさみしかった。

さみしいことは、弱いことでも、悪いことでもないと、教えてくれたのは糸井重里さんだった。

「ぼくらは、あらゆる好きなもの、好きなことのなかに、“さみしさ”を発見しては、それに浸かってじわぁっとしている」「この“さみしさ”というのが、すべての生きものの生きる動機であるような気さえする」

2016年くらいだっけな。毎日更新される日記に、こたつの上のおせんべいみたいな素朴さで書かれていた。

さみしいから、生きようとする。どういうことだろう。わたし、父がいなくなって、さみしくて、消えてなくなりたかったけどな。

わたしがnoteを書くようになって、糸井さんに初めて会ったとき、ストンと落ちた。

「岸田さんも、ひとりぼっちだったんだね」

ひとりぼっち。

「パソコンの前に座るときは、みんなひとりぼっち。でも、インターネットでなにかを書けば、向こう側にいるひとりぼっちと会える。それってなんか、すごいマヌケだけどさ、嬉しいんだよねえ」

糸井さんはいつも言葉が小盛りで、肝心なことを深く聞こうとすると必ず、そのへんのサツマイモや枝豆をつまみはじめて会話がうやむやになるので、本に載ってたことも引用しとくか。

「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿です。(中略)それでも、「ひとりぼっち」と「ひとりぼっち」が、リンクすることができるし、ときには共振し、ときには矛盾し、ときには協力しあうことはこれもまた当たり前のことのようにできます。(中略)「ひとりぼっち」なんだけれど、それは否定的な「ひとりぼっち」ではない。孤独なんだけれど、孤独ではない。

PHP文庫「インターネット的」糸井重里


2ちゃんねるに書いたわたしの文章は拙かった。同じ人間が書いてるんだから、十数年たった今も、劇的な上達はしてないだろう。

さみしいわたしは、インターネットの海に、文章の形を生き恥をさらす。

わたしの文章は、その一点においては、上手いんだ。誰になんと言われても。自分で信じられなくても。クリティカルに。スペシャルに。天才的に。

だって、届いてんだもん。それに答えてくれる誰かがいるんだもん。これを、上手と、言わずして。


高校生のころから、ずっと聞いている曲がある。BUMP OF CHICKENの「fire sign」だ。

かすかでも 見えなくても
命の火が揺れてる
風を知って 雨と出会って
僕を信じて燃えてる

歌うように 囁くように
君を信じて待ってる
微かでも 見えなくても
命の火を見つける

あ〜、これ、高校の教室の机に無心で彫ったわ。カンニング疑惑で指導されたわ。あれ以来だわ。中二病に長らく罹患していたわたしの愚かな恥ずかしさに関係なく、この歌は素晴らしい。

わたしにとって、文章はこの、“火”だ。棒きれの先に灯ったさみしさの火を、インターネットの砂漠でぶんぶん振っている。痛いスラングや、未熟ゆえの過ちが混じっていても、もろともせず、ぶんぶん。

砂漠の向こうに、同じく、さみしさの火が見える。

誰かはわからないし、砂が深くて、近づけなくても、その火が見えただけで、生きていてよかったと思える。


つまるところ。

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