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バズるエッセイを書くために、生きてるわけじゃない

しばらく慌ただしい時間を過ごしていて、日記を書けていなかったけど、思うことがあったので今のうちに書いておく。壊れた蛇口の水みたいにドバドバあふれてくる名前のつけられない感情を、とにかく他人が読めるよう言葉にして、読み返して、自分を整理したくて書いているので、たぶん読みづらい。ごめんね。

きのう「24時間で消えるnote〜一世一代の大告白を受けた〜」というエッセイを公開した。

告白をしてくれた人に撮影してもらった写真がすごくよかった、という内容。これから大衆の面前で残るとなれば、躊躇するか美しく書きかえてしまいそうな文章を、きっぱりと消してしまう(または普段からわたしを応援してくださっているマガジン購読者さんに絞る)ことで、いうなれば安全地帯を設け、ストレートに伝えたいと思ったからだ。

だから自分のSNSでも告知しなかったし、読めた人にはラッキーくらいに思ってもらえて、楽しんでくれたらいいなと願っていたけど、これが予想外に拡散されてバズってしまった。30万PVくらいあった。

当然、告知もされていないnoteの記事にいち早く気づくのは、わたしの近しい読者の方々だから、作品を良いと思って広めてくれたことがとても嬉しかった。わたしの知人で、普段から上質な文章を書いている人、読んでいる人たちも上等な感想を添えてくださった。わたしの文章からコミュニケーションが生まれることは喜ばしいし、好きなことを書いて、好きな人たちに褒められることは楽しい。


ただ、これはバズったらよくあることだけど、公開から20時間くらい経ったころには批判的な感想が目立ってきた。

肌感覚でしかないけど、ポジティブが6割、ネガティブが4割で、これは今まで、わたしが公開してきた作品の中でもネガティブな割合が高い。

どんな作品でも、ポジティブな要素とネガティブな要素はどちらも生まれると思っている。それは一人の中にすら同居する。「あの作品のこれはいいけど、あれはだめだね」という感想は普通にありえる。

だからネガティブな感想を見たとき、瞬間的に落ち込むことはあれど、仕方ないよなと割り切っていた。でも今回はちょっと様子が違っていて、わたしの記事を褒めた人をみんなブロックしたという宣言や、批判的な議論だけをする一時的なコミュニティのスクリーンショットなど、炎上までとはいかないものの過激な反応をいくつか目にしたので、ああこれは結果はどうあれ自分の中にきちんと取り込んで消化しなければならない類のものだなと思った。


最初に誓って伝えておくと、この記事はわたしを擁護したいわけでも、認めてもらいたいわけでも、嘆きたいわけでも、弁解をしたいわけでもない。ただ今回のことを心の深いところで名前と形を決めて受け止めるにあたり、どういう作家になりたいのか、確信めいたものが生まれたので、それを書いた。


ここから先をキナリ☆マガジン購読者に限って公開するのは、お金儲けをしたいわけでは絶対になく。

そういう人生の根幹に触れる決意じみたものは、わたしの人生を応援してくれたり、深く関わってくれたり、一緒におもしろがって生きてくれる人にだけ伝えたいと思った。ほとんどnoteだけで執筆を集中させているわたしにとっては、マガジン購読者が、そういう位置づけなので。ずっと皆さんになにが返せるのかを、考えて過ごしている。


本題に入る前に、わたしのエッセイを好意的に広げてくださった方々、本当にありがとうございます。

文章そのものがどうと言うより、普段のわたしを追いかけてくださったからこそくみ取ってくださった感情や優しさをつづってくださり、書くことを続けていてよかったなって幸せに思いました。それがあったから、今もすごく元気で、ご飯も美味しく食べられました。


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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。