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京都おしゃれラーメン戦記

つけ麺が好き。

地球上のあらゆる麺類のなかで、つけ麺が一番好き。今のところ。

でも、巷のラーメン通のように西へ東へ麺巡りをすることはなく、こと麺類においてわたしは保守派である。

大阪であれば「時屋」、東京であれば「六厘舎」をことあるごとに食べ続けている。ちなみに両店は、わたしが生まれてはじめて西と東でそれぞれつけ麺デビューを果たした店だ。

ヒヨコと同じで、初めて目の当たりにしたつけ麺を親だと思ってついていく。


そんなわたしが昨年、京都に引っ越してきた。

「京都はラーメンの激戦区やで」

京都に住む知人に言われて驚いた。そんなイメージがまったくなかった。どっちかっていうと、おばんざいとか、お蕎麦とか。

いまいちラーメンは素材と有名産地が結びつかないので、なんで京都がラーメンなんだろうと検索してみたら

“1200年余りの歴史を持ち、和の伝統を残す京都では日本有数の神社仏閣とともに数々のラーメンが生まれました”

という、大味すぎる説明文がヒットした。

ワンダフルジャパン・エイジアン・ワビサビ・テンプル・ラーメンパワー……!

「京都のラーメンて、昆布だけでスープとりましてん、みたいなアッサリ系なん?」

「いや、むしろコッテリ系!それと」

「それと?」

「超おしゃれなラーメン屋が多い」

超……おしゃれな……ラーメン屋……?


トルストイは言った。

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものであると。

ラーメン屋の場合は、汚いラーメン屋はどれも似たものだが、おしゃれなラーメン屋はそれぞれにおしゃれなものである。というか、想像がつかん。汚いラーメン屋は、手に取るかのごとく容易に想像できるのに。

知人がオススメするラーメン屋の所在を聞いたものの、それからずっと、存在を忘れていた。

しかし、その刻は突然、訪れる。


ある日、だらだらと散歩していたら、古い町家があった。

ただの町家である。看板も表札もない。このままなら、あら陽気ななにがしさんがお勝手口を開けたまま駆けていったのかしら、くらいにしか思わない。

この町家から急に、睦まじい男女が出てきたのだ。

「美味しかったわあ、ごちそうさま」

「今年食べたラーメンで一番ウマかった!」

まだ1月が始まったばかりでなかなか強気な発言だったが、問題はそこではない。

この町家で……ラーメンだと……?

俄然興味がわいてきた。そして、知人の言葉を思い出す。

「めっちゃおいしいけど、看板のない店があんのよ」

すべてが繋がった。RPGゲームで隠しダンジョンを見つけたような高揚感である。これはもう行くしかない。

入り口を覗き込むが、誰もいなかった。薄暗く、静寂が広がっている。

土間を進むと、急に青白い光がボワァッと光って「ヒエッ」と声をあげてしまった。なにかと思ったら、メニュー注文用のタッチパネル端末だった。

町家風のガワとの落差が激しすぎて動揺した。まるで打ち捨てられた旧人類の基地に残された古代機械である。火の鳥・復活篇のロビタを思い出す。

ラーメンが栄えたこの文明では、すべての人類は滅びてしまった。

タッチパネルにはラーメンもあったが、ここは迷わずつけ麺を選択。

お金はどこから入れるんだろう、と思ったら電子マネーとクレジットカードしか使えなかった。圧倒的無人感。振り切っている。ラーメンむじんくん。(どうでもいいけど、むじんくんはわたしのような子どもが響きを覚えすぎちゃって放送自粛になったんだって。今知った)

電子マネーで支払うと、レシートが出てきた。

さて。

これからどうすればいいのか。

本当に町家の土間である。テーブルも椅子も見当たらないし、誰ひとりとして人間すらいない。

端末の横が竹格子の仕切りになっていて、向こう側になんだか明るいコンクリート打ちっぱなしの空間が広がっている。この竹格子の向こうへ行けばいいのか。

竹格子を掴む。うんともすんともいわない。

「あれ?あれ?」

押しても引いても、開かない。どうやって向こう側へいけばいいんだろう。両手で掴む。開かない。

竹格子の向こう側から見れば、わたしは完全に檻をへだてて迫ってくるオークかゾンビである。クワセテ……ラーメン……クワセテ…!

この先になにかがあって見えているのに、どうにも行けない。ゲームでこういう仕掛け、よくある!最初からボスか宝箱がチラ見えしてるやつ!

ふと、竹格子から目を離すと、ひと一人が通れそうな狭い通路があった。こっちだろうか。

ぐんぐん進んでいくと、それは突然あらわれた。

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石。

石である。

落ちているにしてはデカく、転がったにしては真ん中にある。

ここは京都だ。

「ここを通ったら死ねどす」

凄まじい圧が石から伝わってくる。この石を越えたら終わる。全身がラーメンのように縮れて終わる。

実際、これは神社仏閣でたまに見られる“止め石”という文化で、立入禁止を意味するらしい。ワンダフルジャパン・エイジアン・ワビサビ・テンプル・ラーメンパワー……!

仕方なく引き返す。おそらく竹格子を開けるために、どこかにいる中ボスを倒して鍵を手に入れなければならない。

端末のあった土間に戻ると、普通に二階へ続く階段があった。背後すぎて気づかんかった。バカ。


二階にあがると、モダンな空間が広がっていた。

清々しいほど高い屋根は町家風のデザインだが、真ん中にドカンと置かれているカウンターはぶ厚いステンレス製。12人ほどが横並びに食べられるようになっていて、奥行きがかなり広い。学校の机の二倍くらいある。

カウンターの奥に広がるキッチンには仕切りがなく、バルミューダっぽい黒で統一された調理器具や鍋で、おしゃれな店員さんが二人で手早くラーメンをつくっているのが丸見えだった。

砂時計みたいな形の木の丸椅子に座る。背もたれがないのでどうしても猫背になってしまう。

隣を見ると、わたしの他にもう一人、お客さんがいた。もうすでにラーメンを食べていた。

一番窓際に座っている白いシャツを着た彼は、差し込んでくるまばゆい自然光にボワァと照らされていた。幻想的すぎた。まるで釈迦が背負う、後光のようにも見える。

ズズ、ズズ。

静かな店内に、ラーメンをすする音が聞こえる。

わたしが呆然と、見惚れてしまったのは、彼のその姿勢である。背もたれがない椅子で、あんなにもシャンと背筋を伸ばし、微動だにせず、美しくラーメンをすすれる人間がいるだろうか。

まるで一本の立派な神木が、根から清水を吸っているようだ。


藤井聡太……四段……。

唐突に、名前が浮かぶ。いやまったく藤井聡太氏ではないのだが、なぜかその優雅な佇まいにオーバーラップする。藤井聡太竜王ではなく、藤井聡太四段だ。わたしがかつて見た、四段のときの彼なのだ。あれは。

胸にこみあげるものがあって、涙が出そうになってしまった。

そうこうしているうちに、わたしのつけ麺ができた。

ステンレスのカウンターの奥側に、一席ずる石でできた黒くて大きなプレートが置かれていて、その上にどんぶりが乗っていた。

これは、ランチョンマット的な、あれだろうか。

店員さんに小さく一礼して、プレートの端に手をやりズリ…ズリ…と動かそうとすると

「あ、どんぶりだけ持ってください」

と言われた。ありとあらゆる石の役割が難しい。

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どうだろう!この、雅な佇まい!焼きネギと白髪ネギが乗っていて、ネギ好きにはたまらない。

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スープはこちら。豚骨魚介系で、カツオの味がうんと効いていて、旨味があってじんわり甘い。いろんなお肉が選べたけど、わたしは鶏肉にしてみた。

「味変は、引き出しにある調味料をお使いください」

店員さんから教えてもらって、はじめてカウンターに引き出しがあることに気づいた。引き出しを開ける。

そこには。

マッキーノックがあった。

いや、素材はステンレスとガラスだし、七味とか胡椒とかラベルが書いてあるんだけど、形だけ見れば完全にマッキーなのである。

ちょうど「マッキーノック」と印字されている軸の部分に、調味料の粉が詰め込まれていて、ノック式になっている。

これはハリウッド映画でよく見るやつ。

殺し屋が、ターゲットの首筋にトンッと打ち込むやつ。

高度に成長した旧機械文明で生まれた、頸動脈から直接注入するタイプの七味かと思ったが、普通にノックすると、ペン先の部分から七味がこぼれ出てきた。


あらかた食べ終わって、満足感にひたりながらも、つけ麺のお楽しみはスープ割だ。濃いつけ汁を、だしスープで割って飲む。

カウンターにこれまた一席ずつ、黒いおしゃれな保温ポットが置かれているのをわたしは見逃さなかった。こうやってスープを常備している店は多い。

ウキウキでポットからどんぶりに注ぐと、それはお茶であった。

お茶割りはお茶割りで美味しかった。

知人にあとで聞くと、どうやら大根おろしがスープを薄める役割を果たすようだった。たぶん店員さんに説明されたけど、愚かなわたしが緊張して忘れていた。


藤井四段を見る。なんと、まだ藤井四段はさっきと一寸たりとも変わらぬ姿勢で、麺をすすっていた。なんだと。無限つけ麺でも食ってんのか。

わたしが席についたときにはもうすすっていて、5分後くらいにラーメンがきて、それから20分くらいかけて食べたというのに。麺の一本、一本を、一手と同じように熟考して食べているのだろうか。

しかし、あまりの神々しさに、彼はお客ではなく“そのために存在する何か”のようにも思えてくる。ディズニーシーのタワーオブテラーで言うところのシリキ・ウトゥンドゥの役割である。

そうに違いない。現に、藤井四段を見るだけで、店内に明るい光が差込み、えもいわれぬ幸福感に包まれる。


わたしはもう一杯、お茶をおかわりした。

「ごちそうさまでした」

ひと息ついて、席を立つ。

後ろ髪を引かれるように藤井四段を見る。

藤井四段が、こつ然と姿を消していた。

えっ。

おかしい。入り口に戻るには、わたしの後ろを通らなければならないはずだが、藤井四段の気配はなかった。藤井四段は消えたのだ。まさか本当に、シリキ・ウトゥンドゥ……!?

「お帰りはあちらです」

「あっ、はい」

店員さんに促される。ただの一方通行であった。藤井四段が座っていた壁際にもうひとつ、出口と一階へ続く階段があったのだ。

腹をさすりながら階段を降りようとすると、スッカスカの、スッカスカの螺旋階段だった。おしゃれすぎるがゆえに、ほぼ鉄骨のみで構成されている。仕切りなどない。でかめの大人でも普通に落ちる。

死ぬど。こんなもん、酔っぱらいが降りたら死ぬど。

それどころか、酔っぱらいは注文すらままならないと思う。

「課長ォ!ねえ課長ォ!ヒック!ラーメン食っていきやしょうよォ!」

「ウヘヘヘへ、ッカー!よっしゃ任せとけ、ウィ〜〜、……あ?なんだこれ、金はどこやっ?どこに入れるんや?チクショォ」

そして竹格子に絡まり、京都の厳しい冬を越せずに、そのまま息絶えて死ぬ。容易に想像がつく。

はっ。

だから、看板がないのだ。
このお店には。

洗練された雅な一杯と、まるでモダンリストランテに来たかのようなおしゃれな非日常感を味わい、腹も心も満たすためには。最初から“知っている”お客を招き入れるのが、たぶん、いいのだ。知らんけど。

帰り道に気がついたけど、服が目測を見誤った七味であふれていた。


以下、もう少しお店の詳細と、その周囲で一緒に訪れると楽しめそうなお店の紹介など。

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