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さみしさはまぶしい(姉のはなむけ日記/19話)

母とわたしと弟と、そろって晩ごはんを食べた。

そのあと弟は、お風呂に入った。シャワーの音に負けないぐらい盛大な鼻歌を聞きながら、わたしは寝室でパソコンに向かっていた。

「奈美ちゃん」と、母がリビングから小さな声で呼ぶ。行ってみると、ソファの前に、弟の青いボストンバッグがあった。中身がちゃんと詰まっている。

車いすに座る母の膝の上には、母が選び、ていねいにたたんだばかりの弟の服が、行き場を失って積み重なっていた。

「自分で準備してたんやわ」

行き場を失った服の山を、ぽん、ぽん、と母の骨ばった細い手指が叩く。

「どんどん手がかからなくなっていくんやね、良太は」

褒めている素振りなのに、母はとにかく、泣きそうになっていた。

ボストンバッグには、グループホームで着るTシャツとハーフパンツが入っていた。弟が好きに選んだので、配色はアレだけど。これをこのまま着たら、アフリカ各国の国旗が歩いてるような具合だけど。

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わたしは、黙って母を見ていた。泣くこともなかった。むしろ戸惑っていた。

なぜなら。

もっとずっと前から弟は手がかからないことを、わたしは知っていたからだ。

ひと月かふた月に一度、わたしが住んでいる京都に、弟は泊まりにくる。

ジャーナルスタンダードファーニチャーで手に入れた、我が家のお気に入りのダイニングテーブルは、幅が140cmもあるのに、そこで食事をすることすらままならない。ノートや本やタオルや色ペンや梨が常に散乱しているからだ。雪崩が起こってから片づけても、翌日には散乱している。なぜなのだ。小人でもいるのか。

弟が泊まると、ダイニングテーブルは様変わりする。きっちり半分だけ、二人分の朝食の皿が乗るように片づいてる。もう半分には、縦と横の線をピッタリそろえて、ノートや本やタオルや色ペンや梨が、式典のように整列させられていた。

帰るときも、弟は自分でドラム式洗濯機の中から自分の洗濯物を引っ張り出し、たたんで、持ち帰る。いちいちたたんだりせず、その日着るものを洗濯機から引っ張り出して適当に着て過ごすわたしは、はなから彼に信用されてない。

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これまで母といるとき、弟が自分で着替えを詰めなかったのは、母への甘えだと言ってしまえばそれまでだけど。

あえて“できないを装う”という種類の優しさも、ひょっとしたら、あるのかもしれない。手を差し伸べるだけの余白を自分に残して。

そしてその余白は、少しずつ、少しずつ、さざ波に押されるように、時間をかけて埋まっていく。もう手を差し伸べなくてもいいんだよ、ありがとうね、と語りかけるように。

今日まで母はどんな気持ちで、弟の着替えを詰めていたんだろう。言いきれない気持ちを、たたんで、たたんで、ゆっくり差し出していく時間。弟はそれを受け取ったのだ。


弟をグループホームへと送っていく車のなかは、静かだった。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。