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動物病院のじじい

もう一ヶ月近く前に、動物病院で怒鳴り散らしていたじじいのことが、頭から離れない。

あの時、わたしは、犬の梅吉を抱えて座っていた。

地元でも昔から有名な動物病院で、先生の数も多けりゃ、患者の数も多い。か、患者……?患……物……?

なにはともあれ、夕方の診療がはじまったばかりの病院の待合ロビーでは、犬や猫を連れた飼い主が6組ほどソファに座り、待ちわびていた。

わが梅吉は、昨年治ったはずの免疫介在性溶血性貧血という重い病気が再発し、一週間の投薬治療をしたところだった。

今日は、その効果は果たしてという血液検査があるのだ。

なんとかなれ。
ここんとこ、もっぱら、岸田家には祈りが充満している。

駐車場の車の中で待機している母も、懸命に祈っている。

この混雑ならあと一時間は待つかなと思っていたら、

キキーッ!ギュムギュムギュム!

窓の外から、タイヤがこすれる激音がした。

駐車場に一台の軽自動車が入ってきたのだ。ちょうど母の車の正面に停めたのだが、むちゃくちゃ、運転がヘタクソだった。

テントに打ち込むペグみてえな角度で入庫し、ラインを踏んづけている。

停めなおすために一旦前に出たが、アクセルを雑にふかしたせいで、母の車に向かって飛び出した。

「あぶあぶあぶあぶあぶ!」

母のたまげた声が聞こえてくるようだった。

鼻先寸前のところで車はバックし、停めなおしたが、やっぱりラインを踏んづけて、二台分のスペースを一台で占拠しやがった。

ヤンキーか……?

ヤンキーがトゲトゲ首輪のブル公でも連れて降りてくんのかと身構えたが、降りてきたのは、おばあさんを連れたおじいさんだった。

病院の扉をあけたおじいさんは、おばあさんに振り向いて、

「ったくお前はトロいんじゃ!さっさとせえ!チッ!」

失敬。
おじいさんではなく、じじいであった。

じじいとおばあさんが入ってきた。

「キョロキョロすんな!ここに名前書け!」

待合室にいた六組の人たちと、わたしの心はひとつになった。

見たらあかんやつや!

こちとら弱った犬を抱えてるのである。所構わずキレ散らかすじじいと戦う余裕はない。絡まれたくない。一斉に視線をそらす。

「チッ!アホかお前!家の電話番号書いてどないすんねん!チッ!」

じじいは、おばあさんが書く問診票にキレて、勝手に開く自動ドアにキレて、掃除したての滑りやすい床にキレて、空間のすべてに小声でキレていた。

悪態を小便のごとくまきちらし、ハイハット・シンバルのように舌打ちをしていた。

受付の人が戻ってくるまで、棒立ちしているおばあさんを、

「お前、そんなとこおったら、邪魔になるやろが!」

腕で小突くので、いよいよ、不穏な空気がたちこめる。

じじいへの嫌悪感と、止めるべきではなかろうかという責任感が、わたしを包んだ。みんなを包んだ。

受付の人が、じじいにビビりながら、奥へ引っ込んだ。

しばらくして、看護師さんが入れ替わりにやってきた。

「どうしましたか?」

よく言えば冷静、わるく言えばぶっきらぼうな看護師さんだったので、これはじじいが爆発するぞと思いきや、じじいは黙ってうつむくだけ。

おばあさんが、落ち着いた声で、

「あのね、様子がおかしいから、連れてきたんです。でも、もうダメだと思うけれど……」

と言った。

待合室の一同は、えっ、と顔をあげる。

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週末にグループホームから帰ってくる弟や、ばあちゃんと美味しいものを食べます。中華料理が好きです。